(仮)

プロフィール迷子の関東在住アラサー兼業主婦

思考の省エネ化

思考回路の省エネ化ということについて。

 

前の投稿から長いこと間隔が空いてしまったけれど、書き留めておきたいことができて久しぶりにアプリを開いた。

毎日使うスマートフォン、毎日見る画面の毎日見るアイコンである。指先でたった1回だけでいいから、そのアイコンをタッチすればアプリは起動するのだ。にもかかわらず、この編集画面を見るのがこんなに久しぶりなんて、つくづく私はこと『継続する』という行為に対して意志薄弱なのである。そして言い訳がましい面倒臭がりだ。

 

書きたいことがないと、アプリを開く気になれない。アイコンを見るたび、ここを開いてまで書きたいことがない、気づきや成長のない毎日を送っている自分に気づかされると嫌気がさしてよけいに足が(指が)遠のく。

足が遠のいたまま、次に久しぶりに投稿する内容は、今までの分を挽回するくらい良い内容のものにしなければと、プレッシャーを感じる分また殊更書けなくなっていく。

こうして継続することが困難になっていく。

誰が見るという訳でもないのに、私は一体何に怯えているのだろうか。

何のために、こんなに先回りの自己防衛をしてしまうのだろうか。

おそらく、プライドが高すぎて

自分が思っているほど、自分はできないということを思い知るのが嫌というのが全てだろう。

 

 

さて、前置きが長くなったけれど

これは思考回路の省エネ化について最近何度か考えることがあり書き留めようと始めた記事だった。

思考の省エネ化、とは、何かを意識的に判断する時の意思決定に至るまでの時間をできるだけ短縮できるように道筋を整えておく、ということ、だと捉えている。

 

たどたどしいのは、考え考えながら打ち込んでいるからで、お見苦しくて申し訳ない。

上に述べた思考の省エネ化、意識的な意思決定までの道筋の短縮化のために、何を意識すればいいのだろうか。無数の解答があると思う。

 

その中でもまず重要なのは、無意識化で思考のCPUを食っている雑情報を排除すること、ではないだろうか。

 

ここで想定する雑情報とは、2種類あって物理的な情報と観念的な情報に分けられる。

 

例えば、物理的な雑情報とは、仕事デスクの上に出しっぱなしになっている様々な案件の書類のことだ。意識せずとも、一度に色々な種類の情報が目に入ってしまう上に、その中からいざ必要書類を探すとなると一呼吸いる。

 

例えば、観念的な雑情報とは、総量と優先順位が定まっておらず、処理の所要時間も分からないまま頭の中に留まっているToDoリストのことだ。目の前の仕事1つに注力したい時も、その後ろに控える得体の知れないToDoが気になり無意識に焦ってしまう。

 

この2種類の雑情報が組み合わさって、思考のCPUを食い続けているのだと、思う。

スマートフォンのバックグラクンドに開きっぱなしになっている無数のアプリのせいで動作が遅くなり電池消費が早くなるのと同じだ。

 

思考の省エネ化、とは、今思考すべきこと以外に脳裡に開きっぱなしになっている他のアプリを消しておく作業なのかもしれない。

 

さてそれでは、どうすれば思考の省エネ化が図れるのか、その結果どうなっていくことが予想されるのかを考えて行きたいと思う。

 

と、ここまで書いてきたが、冒頭の書き出しを始めたのは実は今週の月曜に遡る。

通勤時間の電車に揺られ少しずつ進めていたが、開くたびにどこまで書いたか分からなくなっている。どこまで書いたか流れを確認しようと、これまでの文章を読むと、恥ずかしくなるし訂正と誰にともない言い訳ばかり書き連ねたくなる。読み直すのに耐えない文章だけれど、ここで投稿しないと、金輪際ブログを書かない可能性もあるため恥を忍んで開陳する。

 

思考の省エネ化、を図るためのメモだけ以下に残して、後半は次に譲ろうと思う。

・料理の行程に似ている。物理的には、今日作らないレシピが沢山あっても困る。素敵なレシピでも、本が分厚くて大きくて開きにくくて料理の最中に見辛いのは困る

・料理勘に頼った表現は使わない(ひたひた、適量、1つまみ、ざっと、ツヤが出るまで)

次の行程にうつる判断基準は、できるだけ具体的に、明確に(何g、何ml、何分など)

判断基準を決めておくことで、タイムロスが少ない。判断基準を決めるまでの時間はかかるがそれ以後、同行程を行うときの速さが段違い。未来を見据えて、今仕込みをするということ。